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2001年アニバーサリー号
原本執筆:Pete Williams /MD July 1999
翻訳編集:スポーツ&フィットネス・マガジン
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マイケルジョンソンと言えば、そのパワフルなマッスルから繰り出される力強いストロークで有名だけでなく、何よりも未だ前人未踏の2クラスを股に掛けて優勝した事のある、稀な存在なのです。
マイケルが登場する以前の陸上競技の常識は、「200メーターを走るスプリンターは、400メーターを走りぬく持久力が無い」というものでした。 又同じく「400メートルを走る中距離ランナーには、200メートルを走る瞬発力が無い」とも言われたものです。
1996年、アトランタゲームにて、この183cm84kgというスプリンターとしてはかなり長身な体で、400メートル走でオリンピック記録樹立、続いて200メートル走にて19.32秒という17年間破られた事のない世界記録を樹立したのです。しかし何よりも、2つのクラスを同時に優勝する事事態が、オリンピック史上初の快挙だったのです。
果して彼は再び同じ快挙を成し遂げる事ができるでしょうか?
この快挙を成し遂げた後、ベイラー大学で練習を終えたマイケルにインタビューをする機会があったのですが、その際彼はこう言っています。
「19.32秒を切る事は可能だと思うよ。 前回19.32を出した際は、理想的な状況ではなかったからね。 確かに理想には近いコンディションだったが、完璧ではなかったんだ。」
人生の転機
現在32歳となるスーパースプリンターは、1989年に決めた決意が今日の成功を収める結果となったのを良く自覚しています。
彼の過去を振り返ると、それは怪我に悩まされる連続だったのです。 特に大学時代は散々たるものでした。
大学1年生の頃は、大腿二頭筋(太ももの後の筋肉)を痛め、大学2年生の頃は、ストレスによる骨折。 大学3年生の頃は、大腿四頭筋(太ももの前面の筋肉)を痛めたのでした。
これら度重なる怪我につき、マイケルは筋力の弱さが原因と遂に悟るのです。 そこで彼は、ウエイトトレーニングとストレッチをプログラムに入れる決意をします。 そしてその時彼は、こう思ったそうです。 「もしこれで何も改善されなかったら、走る事を断念しよう」と。
マイケルはインタビューで、ウエイトトレーニングが嫌いだった事を告白しました。 彼の本来の考えでは、才能さえ有れば記録は生まれるというものでした。 しかし、やがて目の前にあるウエイトトレーニングが、自分に有利に役立つのなら、それを使わない術はないと悟ります。
その後プログラムにウエイトトレーニングを定着する事により、彼の素質であるスピードにパワーが追加され、オリンピックに向け調整を開始するのです。 しかし不幸にも、1992年のオリンピックの際は食中毒が彼を襲い、200メートル走を断念する羽目になりますが、何とか400メートルリレーのメンバーとして参加し、金メダルを獲得しています。
しかし、これら不運は、快挙を成し遂げたアトランタオリンピック以前の話です。 アトランタオリンピックでは、彼のトレーニングに対する厳格性が証明される事となります。
彼のトレーニングコーチであるクライド・ハート氏は、マイケルがトレーニングを休んだ事が無いと話します。
ある時雨が降り、練習仲間は室内で練習をする中、マイケルは外で雨に打たれながらトラックを走って練習していたのです。 トレーニングコーチが理由を尋ねると、マイケルはこう答えました。 「いつ大会当日雨が降るか分からないからね」と。
トレーニングは量ではなく質
厳しく良く働く両親と、5人兄弟の末っ子として生まれた環境が、マイケルを我慢強くし、又目標を持つ重要性を悟らせたと言います。
マイケルは常に、「トレーニングはどれだけ長くするのではなく、どれだけ質を高めるか」という事を念頭に置いています。 実際それがどれ程かここに証明すると、一般のトップスプリンターなら通常1週間につき50時間以上トレーニングや練習に費やするところ、マイケルはたった12〜15時間しか費やさないのです。 そしてその練習というのも長年絶え間無く続けるものの、練習内容については常に進化しているのです。 その思考錯誤の繰り返しについて、マイケルはこう話します。 「ある時は持久力を高めるのに重点を置いたトレーニングをした事もあるし、ある時は更に短距離走の瞬発力を高めようと、ウエイトトレーニングに沢山時間を費やした事もある」
そして更にこう続けます。 「慣れたトレーニングや練習内容を変えるのは、非常に自己コントロールが必要だ。 でないと考え込んでしまって結局何も変えずに終わってしまうんだ」と。
マイケルは週3日朝一でウエイトトレーニングをします。(ウエイトトレーニングを技術練習より最初にする事に注目!:編集部より)
時間は1時間半ほどで、主にサーキットトレーニングとなります。 ですからベンチプレスやレッグプレス等のセット間は走っているのです。
そして彼がトレーニングでより丁寧なのが、ストレッチという柔軟体操です。 これは90年代にマイケルがトレーニングに追加したもので、怪我を防ぐ為だと言います。
スプリント(短距離走)については、競技能力を向上するのに最高だとマイケルは言います。 練習時は、80%〜90%の能力で行い、1本走る毎に念入りなストレッチをします。 |
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